moyacore

モヤコレ(moya core) : 日々の生活のなかで感じるさまざまな「モヤモヤ」を共有し合う「コレクティヴ」。またその「モヤモヤ」の「コレクション」を指す。そうやって「コレクトネス」とは何かを考えていきたい。それが"core"になるはず。

いま、思い出しているところ

 高校の卒業式は最悪だった。

 

 私が通っていた高校には制服がなくて、卒業式ではほとんどの女が袴かドレスを着る。私はどちらも着たいと思わなかったし、用意するのに結構なお金も要るから、母の黒い、長い、タイトなワンピースを着ることにした。卒業式の前日に(今思えばギリギリだ)家でワンピースを試しに着て、「すごく似合うよ!」と母に言われて、姉からアクセサリーも借りたりして、はしゃいでいた。

 

 次の日、登校するやいなや、教室がざわめいた。そのまま衝突してくるのではないかと思うような勢いで駆け寄ってきた女から放たれた言葉は「保護者みたい」。しまいにはわざわざ隣のクラスから別の女が来てくれて「どうしたの?」とかなんとか。

 身につけているものについてあれこれ言われるのは昔からよくあったので、慣れているつもりだった。だけど、この時は本当に悲しかった。前日に嬉しそうに着せてくれた母の顔や、合いそうなアクセサリーを探して貸してくれた姉の顔が浮かんだ。卒業式が終わり、学校から帰って家で泣いた。でもよかった、だって、卒業式だったから。もうその女たちに会うことは、二度とない。

 

 大学に入っても同じようなことは度々起きた。1年の時、母と姉から誕生日プレゼントでネックレスをもらった。名前のイニシャルに、誕生月の小さいピンク色の宝石がついていた。大学1年生がつけるものにしては高かっただろうな、すごく綺麗で、大好きだった。ある日、大学につけていったら、また怖い顔をした女に言われた。何と言われたか、もうここには書きたくない。そうか、私はどこへ行っても女の攻撃から解放されることはないのだ、と思った。

 高校受験、大学受験と経験した私は、大量の過去問やら問題演習を通して多くの文章に出会った。国語は苦手だったけれど、世の中には、「他者」の「経験」「理解」「共生」について考え、実践していく人たちがいることを知り、自分の世界が少し広がった気がした。勉強することは、誰かを傷つけることのないようにするためのもの、誰かを助けたりするためのものだとその時は感じたけど、都立の難関校に行っても、比較的偏差値が高い国立大学に行っても、攻撃してくる女はいるんだなあ、勉強ができるかどうかは関係ないんだなあと学んだ。

 

 もう女から悪意を向けられて傷つけられるのが嫌だった。でも強くなれなかった。だから、攻撃されないことを目標にして生きるようになった。いいなあと思った服も、いいなあと思った自分を否定されてしまったら嫌だから着ない。家族にもらったものも、誰かに侮辱されたら死ぬほど悲しいから大学には身につけていかない。どの服屋にも売っていそうな、流行りの、ありふれた「普通」の服のなかで、嫌いではない、サイズが合う服を選べば攻撃されなくて済むだろう。本当に着たい服を着たって良いことは何もない。服は自分を抑えつけて攻撃されないようにする、まさに防御服になっていった。反動的に寝巻きだけはどんどん「派手」になっていった(!)。

 

 それから少し経った2015年、「学生運動」があった。ネイルやマツエクをしている大学生が、大学の帰りに国会前に立ち寄ってトラメガを持って政治の話をすることがメディアにウケていた。その学生たちが実際にどんな思いで過ごしていたかにはここでは触れない。とにかく、運動はすごい盛り上がりだったと思う。世の中には「政治の話をしそうにない」見た目があって、学生運動に対して抱きがちな1960年代のイメージとはかけ離れた「意外な」見た目のひとがデモに行くことに斬新さがあって、それが記事やテレビ番組で取り上げられ、その抗議が広く知られていくのだと学んだ。

 

 そういえば、私は世の中で「勉強ができない」と思われる見た目をしているらしいことを思い出した。小学6年の時、近所の友達に誘われた塾の無料体験で受けた模試の成績をその子のお母さんに言ったら信じてくれなかったし、中学3年の時、出願しに行った高校で同じ中学の女に会ったら宇宙人を発見したような目で見られた。無事に合格して、進学予定の高校名を隣のクラスの担任に伝えたら「えー!?!?」と大声を出して驚かれた。挙げだしたらキリがないほど、私が世の中で「勉強ができない」見た目をしていることを裏付けるエピソードがある。

 

 それを思い出して、チャンスだ、と思った。ネイルやマツエクはしていないけど、「勉強ができない」見た目をしているらしい私が、いかにも「普通」の大学生らしい格好をして、政治について話し行動すれば、そのギャップによって、小さいことでも、身近なところでも、何かを変えられるのではないか、と。政治は「勉強ができる」かどうかなんて関係ない、誰にだって語る権利があるのだというメッセージを自分という存在によって発信できるのではないか、と。もっと言えば、見た目なんて関係ないのだ、と。それから私の服の「普通」化は加速した。私にとって、服は抑圧そのものになったけど、それで少しでも世の中を変えることができるならいいと思った。同時に、大学生がやっている社会問題にかんする活動にあちこち顔を出し始めた。同じような志を持っているひとに、同じような苦しみを抱いているひとに会いたかった。仲間がほしかった。

 

 ある時、高校の男の友達に誘われて、差別に反対する団体の勉強会に参加した。参加者は運営側を含めて全部で12、3人。そのうち女は私を含めて2人。その日初めて会に参加したのは私を含めて3人くらいだったと思う。

 

 会が終わって、片付けをしていたら、参加していたもうひとりの女が駆け寄ってきた。どうやら運営側らしかった。私は期待を抱いていた。ここでなら、やっていけるかもしれない。何といっても、差別に反対する団体(!)。駆け寄ってきた女と、仲良くなれるかもしれない。だって、女は駆け寄ってきてくれているのだ。そして期待していた私に向かって、女は何を言ったか。それまで自分がやってきた活動・功績、いかに団体メンバー(男たち)と仲が良く、強固な絆があるか、長いスピーチをしてくれた。

 

 ああ、同じだと思った。卒業式の時に私に「保護者みたい」と言ってきた女と、ネックレスを侮辱してきたあの女と同じだ。攻撃されたのだ。作戦失敗! でも、どうしてだろう? だって、私はその日もちゃんと「普通」の服を着ていたし、あらゆるラブの可能性を考えて、誘ってくれた男の友達にも執拗に話しかけないようにしたのに。何がダメだった? 私の何にムカついた?

 

 どうやら、どんな服を着ていても私に腹を立てる女がいるようだ。私がどんなに「勉強ができない」見た目で、出会った瞬間から両手を挙げて降参していても、「私はお前より優れているのだ」「私にはここにいる男たちとの特別な関係があるのだ」とわざわざ主張してくる女がいるようだ。もしかしたら、立派な実績を持つあの女は、私が「普通」の格好をしていて、かつ「勉強ができない」見た目だったからこそ、「お前がいる場所じゃない」と言いたかったのかもしれない。もしかしたら、あの女は私が団体の男たちの誰かに好意を寄せていると思ったのかもしれない。そもそも、私が男を好きかどうかなんて分からないのに。

 

 このような彷徨いを経て、出会った活動家や研究者に学んでいくなかで、「普通」でない選択をすること自体が、好きな服を着ること自体が、世の中への抵抗になることに薄々気づきながらも、今ここにいて誰かと話ができているのは、「普通」の服を選択してきたからであって、「普通」の服を着ているから攻撃されずに済んでいるのであって、それが時に世の中に変革をもたらす可能性すら持っているのだという、歪んだ「信念」をずっと手放せずにいた。たとえ、少しずつ見つけ始めた大切な仲間たちが、私が何を着てようと気にも留めないということを分かっていても、私は、長年抱いていた、とにかく攻撃されたくないという気持ちに囚われていた。だけどもう疲れた。どうでもいいや。残りの人生、せめて好きな服くらい着てやろう。道のりは長かったけれど、ようやく最近そう思えてきた。

 

 でも、気づいてしまった。私は、自分がどんな服を着たいと思っていたか、すっかり忘れてしまった。服って、どうやって選ぶんだろう。私は何が好きだったっけ。何を着たらルンルン気分になっていたっけ。考えようとすると、勝手にブレーキがかかるみたいに頭がまわらない。唯一のヒントは、目がチカチカするほど「派手」な寝巻き。いや、あまり参考にはならないか。母や姉に聞けば、分かるだろうか。

 

 あの高校の卒業式から10年経とうとしているいま、少しずつ、思い出そうとしているところだ。

 

 NaoMi